普段は骨の髄までボカロ曲か何かの考察をする會を運営しているんですけど、
jyunreaistdoudoudou.hatenablog.com
まあたまにはこういうのも良いんじゃないかと思い、今回は温泉シャーク2の感想を垂れ流そうと思います。
当然ネタバレは含みますし、主にクライマックスの描写の話をするので、これから映画鑑賞予定の方はブラウザバックしてお早めに劇場に突撃してください。
私もなんか早期終映しそうだな~と思って行ってみたら休日の真昼間に7人くらいしか座ってる人いなかったのでマジでヤバいと思います。
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以下ネタバレ注意
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【感想】温泉シャーク2 九州大決戦
結論:温泉シャーク2は「サメ映画とは何か?」という問いに対する1つの普遍的な回答――「大人の馬鹿馬鹿しい夢」である
これについて複数の論点から感想を述べる
①意図的な世界観の崩壊――夢見るJK、なぜか礼儀正しい少女
これは断言できるのだが、今作主人公を女子高生にしていることによって、温泉シャーク(無印)にあった「大人が全力で昆虫採集をするような馬鹿馬鹿しさ」というシャーク風味を大きく損ねており、しかもそれは意図的である。
まずB級サメ映画を成立させるためのお約束として、大人たちがイディオットボールを大量所持する必要がある。
そしてツッコミどころ過多の状態にしつつ、鑑賞者に心の中でそれをツッこませるものの、最終的にそれらがオーバーフローし、鑑賞者がツッコミを一部放棄して単純にB級サメ映画を楽しむという心理的儀式がサメ映画の肝なのだ。

その心理的儀式に水を差すように「ちょっと不真面目で真面目なJK」を主人公として配置しているのがこの温泉シャーク2である。
東京に対して過度な夢を持ちつつ、進路がフラフラしているものの、彼女は彼女なりに本気であり、その本気が物語を進めていく・・・こういった幼気さと勇気を見せつけられた時、我々の視点はもう「保護者」になってしまう。
こうなってしまったら本来サメ映画は「おしまい」なのである。
折角イディオットボールを大量所持した大人がCG技術に付き合う形で、変顔で見せ場を作ったとしても、一見真面目そうな大人が陰謀論じみた独自のサメ用語をアポカリプス的に主張したとしても、「保護者」と化した視聴者の心のツッコミは「何やってるの?」1つとなってしまう。
つまるところ、サメ映画の肝となる「大人がバカやってるぞ!お前ら視聴者もバカになっていいんだ!」という隠れた主張を敢えて阻害し、常に「何やってるの?」が頭の片隅にどこか張り付いた状態で視聴しなければならないのがこの温泉シャーク2なのである。
この仕掛けは「2人のいい年したオッサンが目の前でサメにブンブン捕食されている中、少女がその情景をぼーっと見て、サメが爆発して解決した後になぜか少女が礼をして去っていく」シーンが顕著である。
これはどういう経緯で挟んだかは知らないが、このシーンが採用されていること自体は明らかに意図的かつ象徴的である。
この作品は「知性が大人と子どもで意図的に逆転している」のだ。
②サメCG演出過多+人間ドラマ激薄問題
これはどこまで意図的かはわからないが、本作の構成は「結構早い段階で物語の黒幕が正体を現し、それ以降はほとんどサメとの戦闘・共闘を描く」ような構成となっており、鑑賞者は醤油やワサビもなく永遠にマグロの赤身を食べるかのような感覚に陥っていく。
正直、監督や脚本家がキマりすぎた説も濃いが、私としては一種の問題提起のように感じざるを得ない。
「サメ映画はサメの映画なんだから、人間を置き去りにしてこそサメ映画である」という問題提起だ。
特に人間ドラマが意図的に薄味になったシーンとして、義父がサメ毒的な何かに倒れて遺言じみたことを言うが、隣で泣いてるJKも義父も何にも回想的なシーンを出せずにJKが「楽゛しかっ゛たよ・・・」と言うしかない下りがある。
非サメ映画監督や脚本なら絶対過去回想とか盛りに盛ってお涙頂戴と行くが、サメ映画ではバッサリとこれを捨象して次のサメバトルパートへ行く。
興味本位ネタバレ覚悟でこの記事を見た人間は今すぐ劇場に行ってほしい。絶対に「この監督、人間よりサメの方が好きだろ・・・」となる。
とはいえ、本作が人間(特に鑑賞者)に寄り添っていないかといえば否である。
正直カメラワーク(特に黒幕キャラの見せ方)や随所に挟まれる説明パートの唐突な入れ方、その物量、その馬鹿馬鹿しさ・・・どれを取っても観客に「ツッこませる」ためのテンポの良い工夫が施されている。
しかしそれらは①で述べた通り、意図的に「何やってるの?」に上書きさせられるのだ。
そして本作は象徴的なクライマックスを迎える。
③子どもは夢で終わり、大人の夢は終わらない
私はこのクライマックスシーンのせいで長々と記事を書いている。
JKは戦いに勝利し、美大を目指す普通の女子高生に戻る。
そして催眠から解かれたように、サメと人間の意思疎通の形跡が消されるのだ。
本作に「作者」という主体を置くのであれば、「作者は最後の最後に物語の中のJKの将来を守った」と言える。
そしてそのこと自体が、「サメ映画が世代(特に親子)を継承する文化とすることは馬鹿馬鹿しい、本当にそういうのはやめておいた方がいい」と自嘲するような寂しさを感じざるを得ない。
確かに、一部の界隈でカルト的な人気を誇るサメ映画はもはや一時期の流行ではなく「流行と文化の境目」にあるかもしれない。
そして最後の最後、スタッフロールが流れた後、「作者」はファンに「俺たちが本当に見たいもの」を見せつけるのだ。
2000億円借金市長とサメオタク女が、ありえない復活を遂げたマッチョを発見する。
このシーンに子供がいない、というより無印の初期メンバーしかいないということ・・・「いない」ということそのものが雄弁に語っている。
そう、我々にとってサメ映画とは「大人の馬鹿馬鹿しい夢」であり、「一代限り咲く大きな花火」であっていいのだと。
そういった遠回しの怪電波にカタルシスを感じながら、「温泉宿を継がなくてもいい」「大学に行かせる金ならある」と、その時だけ妙に保護者としての役割を果たしていた義父のシーンを思い出すのだ。
<総評>
・温泉シャーク2 九州大決戦は、B級サメ映画と分かってて見ても期待以下の「カスの超かぐや姫」を見させられる駄作
・しかし、一歩引いて見たときサメ映画に対する強烈なイデオロギーを発散した怪作と受け取ることができる
→少なくとも「これサメ映画じゃなくてよくね?」とはならないため、サメ映画としては客観的に佳作以上の評定を出さざるを得ない
最後の最後でバカな大人の物語に着地したのが普通に嬉しかったです(バカな大人並感)
地球上に存在する価値のあるサメ映画でした。
ありがとうございました。
3出たら一応見る予定だけど、さすがに興行収入スベりすぎて出ないよね・・・?










































































